プロフィール

オードリー・ヘップバーンのプロフィール

オードリー・ヘップバーンの生涯

1929年 ■5月4日、ベルギー・ブリュッセルで生まれる。
父はアイルランド人、母はオランダの貴族出身。
1934年(5歳) ■イギリスにわたり、翌年ケント州の寄宿学校に入学する。
1939年(10歳) ■両親が離婚する。
折しも第二次世界大戦が勃発、母親と祖父のいるオランダへ移住する。
戦時中はバレエのレッスンに励み、ドイツ軍のオランダ侵入に対するレジスタンス運動の資金集めに協力した。
1948年(19歳) ■ロンドンに移住し、バレエ学校に通う一方で、コーラスラインでプロとしての初舞台を踏む。
また映画「オランダ7つの教訓」に端役出出演。
1951年(22歳) ■数本の映画で端役で出演したのち、「初恋」で主役の妹のバレリーナ役で準主役を務める。
同時期、映画「モンテカルロへ行こう」が南仏リヴィエラで撮影中だったが、女流作家シドニー=ガブリエル・コレット女史に見出され、ブロードウェイの舞台「ジジ」の主役に大抜擢される。
コレット女史がオードリーを「見て、私のジジよ!」と言ったエピソードは、あまりに有名。
1952年(23歳) ■「ジジ」を見たウイリアム・ワイラー監督は、カメラテストの結果、オードリーを「ローマの休日」の主役アン王女に抜擢。
映画は翌年1953年に公開、オードリーは初の主演映画でいきなり、アカデミー主演女優賞を受賞する。
1954年(25歳) ■ブロードウェイの舞台「オンディーヌ」に出演、パラマウント映画の反対を押し切っての決断だった。
オードリーをはトニー賞の主演女優賞を獲得、舞台でも大成功を収める。
このとき共演した俳優のメル・ファーラーと結婚する。
また「麗しのサブリナ」で、再びアカデミー主演女優賞ノミネート。
1959年(30歳) ■「尼僧物語」でアカデミー主演女優賞ノミネート。
1961年(32歳) ■「ティファニーで朝食を」でアカデミー主演女優賞ノミネート。
1964年(35歳) ■「マイフェアレディ」でゴールデングローブ賞主演女優賞ノミネート。
映画のギャラが100万ドルに達する。
1967年(38歳) ■「暗くなるまで待って」でアカデミー主演女優賞ノミネート。
1968年(39歳) ■メル・ファーラーと離婚。
1969年(40歳) ■イタリア人精神科医アンドレア・ドッティと再婚。
1976年(47歳) ■「暗くなるまで待って」以来9年ぶりに、映画界に復帰。
「ロビンとマリアン」に出演する。
1981年(52歳) ■アンドレア・ドッティと離婚する。
1989年(60歳) ■遺作となった「オールウェイズ」に出演後、女優を引退。
ユニセフ親善大使として活動を始める。
1993年(63歳) ■1月、大腸がんのためスイス・ローザンヌ近郊の村で死去。享年63歳だった。